エスペ世界における強さ

よく漫画やゲームとかで明らかに格上の敵に対して、主人公側が勝利するというのはよくあるパターンであり、それは彼らが主人公であるから敵に負ければ物語が終わってしまうという根底の条件があるからこそ、どんなに力の差が離れていても勝利するものですが、作品によってはそうした勝利はある意味「理由」が存在し、必ずしも主人公側が都合のいい覚醒をしたから勝ったとかではなく、主人公側だけでなく敵にもある種の負けるべくして負けた理由があるものだと思います。

 

そうした本来は絶対に負けるはずのない敵が負ける理由。あるいはそれに勝利できる理由がエスペランサーセイバーには明確に存在し、作中では絶対に語れない部分を語っていこうかと思います。

 

・理持ちは人間相手には全力は出せない

エスペセイバーにおけるはるか強大な存在であり、格上の存在「理持ち」

それは本来「神」と定義出来る存在であり、人間が敵う存在ではありません。

ですがエスペセイバーではこうした理持ちは多種多様に存在し、そうした敵と対峙しながらもプレイヤー側いわゆる主人公側が勝利できるのには主人公側における強化や覚醒だけでなく、ちゃんとした理由があったりします。

まずタイトルの通り、理持ちは人間相手に全力は出せません。

これはいわゆる本能に近い感覚であり、むしろ人間相手に彼らは全力を振るえない制限があると言ってもいいです。

作中でも何度か言っていたのですが理を持つ神は基本、傲慢です。

というよりも神とは本来そういう存在です。まず単一の感情あるいは事象を極め、それに到達し神となった者達なので、それ以外の感情は基本希薄です。なので人のように様々な事象に対する受け止め方の変化がありません。終始一貫、感情はほぼ一つのみ。

なので彼らは自身と同等という存在を人間には見ません。見せるとしてもそれはおそらく同種のみ。このため、彼らが人間相手に全力を出すということはありえないですし、できません。

全力を出すということはそれは相手を自分と対等と見る行為です。

それは単一の感情に至り人の領分を逸脱した者が、かつての人の領分であった者を自分と同等と見る自己矛盾に等しいからです。

多くの者が悟り(理)を目指すのは現在のただの人間からその上の領域に進化したいからであり、それが叶った者がどうしてかつての人間だった頃と今の自分を同じ領域と見れるでしょうか。

これはいわゆる今の自分の理を否定する感覚でもあり、もしもそれを行えば自分の理にヒビを入れることになります。このため全力を出すことはできないのです。

Fateの英雄王の言葉に「慢心せずしてなにが王か」というセリフがありますが、これが自分の中ではしっくりと来ています。

自身を特別と理解している存在が、見知らぬただの人間相手にどうして全力が出せるのでしょうか。それは文字通り特別だと思っている自分への否定につながり、それが結果自身の根幹に取り返しのつかない傷跡を刻むことになるはずです。

こうした理由からエスペセイバーのメモリーオブイシュタルの神であったイシュタルが最後まで傲慢のまま手を抜いて主人公達と対していたのも彼が「理持ち」であったためにそれは必然であったのです。

仮にどんなに強大な人間であったとしてもそれが人間である限り、理持ちは同種以外には全力は出せません。出せば自分の理に傷が入るからです。

 

・ティオンではヴェイゼアには勝てない

こちらはいわゆる隠し設定で、本編では特に公言していませんでしたが、実は自分の中ではティオンはどうやってもヴェイゼアには勝てないという設定でした。

それはあの戦いそのものだけでなく、実は当初考えていた第三ルートでもティオンとヴェイゼアが戦うシーンがあったのですが、そこでもティオンはヴェイゼアには勝てません。

これは単純な相性や資質や才能以上に、魂自体がそういう仕組みに絡んでると言ってもいいくらいです。

無論、ティオン編のラストまで成長したティオンならヴェイゼアに勝てる可能性はあります、がそこへ成長するまでに必ず両者はぶつかるようになっています。(ぶつからない場合はどちらか一方が退場し出会わないまま終わるパターンです)